タイトルは最初、少し冗談めいた一言のようにも聞こえる。Je joue du blues avec les mots, c’est plus facile que d’écrire avec une guitare.
けれど、その言葉の奥にはFREDという世界を語る、もっと深いものがある。
ステージより先に、アレンジより先に、文章が歌になるかもしれないという発想よりも先に、すでに「書くこと」があった。
ノート。文章。口ではいつも言えなかったことを、どこかに置いておくための方法。理解するために、息をするために、沈黙にすべての場所を奪われないために書くこと。
Je joue du blues avec les motsは、そこから始まる。
この曲は、もうずっと前に二十歳を過ぎ、壁にぶつかり、曲がる道を間違え、別れをくぐり抜け、傷跡を残してきた男を描く。けれど、それを不幸のコレクションにも、生き残った者のポーズにも変えない。
むしろ曲が語るのは、とても単純なことだ。人生は、自分を傷つけたものだけではできていない。
悲しみはある。もちろんある。けれど、祝う夜も、笑いも、温かいコーヒーも、戻ってくる人も、自分がもうどう居ればいいのか分からないときに席を残してくれる人もいる。
おそらくここで、この曲はFREDという世界に最も直接つながる。個人的なことを伝説にせず、傷を飾りにも変えないという姿勢だ。
曲は「僕は自分の傷跡の年齢を生きている」と語る。そこに閉じこもるためではない。それも顔の一部だと認めるために。
するとブルースは、ひとつのジャンルというより「語り方」に近くなる。ブルースが存在するために、必ずしもギターは要らない。一つの文章、一冊のノート、まだ形を探せるほど熱を残した何かから始まることもできる。
曲が形になるまでには時間もかかった。単なるブルースの練習のように聞こえる段階を抜け、ようやくFREDらしく響く形にたどり着くまで、ほぼ三十回の試行が重ねられた。語りが強すぎる部分は書き直され、ボーカルの選択は整理され、やがてブルースは電子的な脈動とゴスペルのエネルギーに出会いながら、男性リードの声を中心に残した。
この過程が示しているのは重要なことだ。この曲は「ブルースを作るため」に生まれたのではない。言葉そのものがすでにリズムを持っていたから、自分自身のブルースを見つけていった。
そして、これほど個人的な曲でありながら、文章は自分の内側だけを向いてはいない。最後には聴く人のほうを見る。ステージもギターも、自分の抱えているものを派手に語る方法も持たない人を。
考え方はむしろささやかだ。一つの言葉から始める。それを外に出す。形を与える。そして、ただ重かっただけのものを、何か別のものへ変えていく。
Je joue du blues avec les motsは、10月2日に出るFRED EPには収録されない。だからこそ、ここでこの曲を取り上げる意味がある。
EPはこの世界への扉を開く。けれど、その境界線を引くものではない。
Chienne de vie、Ton fils、Pour un temps、Faisons la paixの向こうには、すでに別の色を持つ曲、同じ男の別の断片を持つ曲がある。
パズルは、10月2日のあとも組み上がり続ける。
そして、そのパズルを作っているものの一部を理解するには、いちばん単純な出発点に戻る必要があるのかもしれない。
音楽より先に、すでに言葉を書くことがあった。
