曲は3分ほどで聴き終えることもある。FREDでは、もう少し長いこともある。必要なら5分、6分、7分。一般的な基準が檻になってしまうなら、FREDはわりと平気でそこから外れる。曲はいつも、あらかじめ想定された長さ、整えられた長さ、期待される長さに収まる必要はない。とくに、その長さが言葉を閉じ込め、文章の呼吸を切り、感情の届く範囲を狭めてしまうのならなおさらだ。
白いページだけでも、表現を制限してしまうことはある。外へ出ようとしているものを、今度は音楽が閉じ込める必要はない。
3分の再生。あるいはそれ以上。いくつかのイメージ、残るメロディー、流れていくメロディー、心に触れる一文、耳をつかむ声。聴き終える頃には、その曲が最初からずっとその形で存在していたように感じることがある。
けれど、本当に一曲が存在するようになる前には、見えないものがたくさんある。歌は、ひとつの創作プロセスそのものだ。
まず文章がある。FREDでは、ほとんどいつもそこから始まる。一文、ひとつのイメージ、傷、怒り、記憶、何度も戻ってくる感覚。すぐに書けることもある。なかなか形にならないこともある。単語をひとつ動かし、一行を削り、文の自然なリズムを取り戻し、それが歌える言葉なのか、まだ「書かれた文章」のままなのかを聴き取っていく。
文章が美しいだけでは、歌にはならない。文章が呼吸し始めたとき、歌は生まれ始める。
そして、ときには単語ひとつですべてが変わる。ひとつの息。ひとつの沈黙。ほんの少し違うイントネーション。
FREDの制作では、解釈と表現がとても大きな位置を占める。正しい音程で歌うことや、メロディーをなぞることだけではない。ひとつの単語、一文、一節、あるいは文章全体の空気の中にある、正確な感情を探しにいく。
FREDの声は、いつも同じ場所にいるわけではない。もちろん歌う部分もある。けれど、歌いすぎない部分、半分歌うような部分、ほとんど語るような部分、完全に語りになる部分もある。文章が求めるままに、声は動き、ひびき、抑えられ、前へ出る。
ときには、声色やアクセント、言葉の響きで遊ぶこともある。たとえば『Petite fraise』の冒頭では、その文章のきっかけになった人物への小さな目配せとして、FREDはカナダ風のアクセントを使う。制作中の『Fraternité』では、曲の意味とインパクトを強めるために、わずかにオリエンタルな色を感じさせる声を探すことを、少し楽しみながら続けている。
ここにも、意味のないことはない。声をどこに置くか。言葉をどう言うか、どう歌うか。抑えるのか、出すのか。すべてが意味に関わっている。ページに貼りついていた言葉を少し引きはがし、書かれた文章の中で眠っていたものを外へ出すための方法だ。
FREDはいろいろな方向へ進む。何度も言ってきたように、本当にいろいろな方向へ。けれど、決してでたらめではない。すべては文章のためにある。
何度も何度も録り直すテイクもある。必要なら千回でも。ひびが入るべき場所が違うから。ひとつの単語に込めた意図が、求めていたものとほんの少し違うから。きれいな一文なのに、まだ言うべきことを言えていないから。
FREDは、ときに解釈をほとんど演劇的なイントネーションまで押し広げる。役を演じるためではない。真実に届くためだ。外から見れば奇妙に感じるかもしれない。けれど必要なことでもある。文章も、空気も、曲が抱えているものも裏切らない、正しい感情を立ち上げるために。
次に探すのは色だ。どんな空気か。どんな緊張か。どんな光か。曲は脆く、ほとんど裸のままでいるべきか。それとも開き、厚みを増し、影や脈動、ストリングス、ギター、沈黙をまとっていくべきか。
ここから、もうひとつの見えない作業が始まる。試行、いくつものバージョン、捨てた方向。面白いけれど文章を支えない案もある。美しいけれど整いすぎたものもある。ほとんど正しいのに、曲の中心までは届かないものもある。
だから、また始める。もっと多く作るためではない。音を積み上げるためでもない。文章と声と音楽が、お互いを認識する正確な場所を探すためだ。
FREDのプロジェクトでは、デジタルツールやAIもこのアトリエの一部になっている。意図も、選択も、聴くことも代わりにはならない。方向、空気、色を試し、探り、比較するための手段だ。ひとつひとつの実験のたびに、毎回チーム全体を動かさなくても試せるようにしてくれる。
試行は多い。探す時間も長い。誰にも聴かれないまま消えていく道もたくさんある。
そうしてAIは、作業し、投影し、探索するための道具になる。準備し、整え、比べ、探すための道具だ。
けれど、最後の判断は人間がする。何を残すか、何を拒むか、何が正しく聴こえ、何が違うのかを選ばなければならない。そして残す価値のある方向が見つかっても、まだ終わりではない。それをさらに作り込み、理解し、自然に再現できるところまで持っていく。もう「試し」に聞こえず、最初からそうだったように感じられるところまで。結局大切なのは、最初の感情に仕え、その曲の世界に本当に属しているかどうかだ。
そして、ときには何日もの探索、何週間もの熟成、何時間もの試聴と調整を重ねたあとでも、FREDは止まり、もう一度聴き、がっかりした顔でこう言う。サウンドエンジニアたちには、しばしば頭を抱えたくなる一言だ。『最初から全部やり直そう。』
まだ完全には納得できないから。ほとんど正しい、は、まだ正しいではないから。
そのあとに、残りの仕事が続く。ビジュアル、空気感、曲に添えるイメージ、アーカイブ、残すバージョン、整理するファイル、作業の痕跡。歌は単なる音声ファイルではない。ひとつの道のりの一部だ。
あなたのところへ届く頃には、それはごく自然で、当たり前のように見えるかもしれない。けれどその当たり前の裏には、何日もの探索、何週間もの熟成、迷い、繰り返した試聴、小さな選択、諦めたもの、そしてようやく訪れる特別な瞬間がある。うん。ここだ。これなら持つ。
その瞬間になって、ようやく一曲は本当に存在し始める。
